山村若三のブログ。メモ代わりに気が向いたときに思いついたことを記録します。
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芸の良し悪しがわかるようになるには、ちゃんとした先生について稽古し、本物に数多く
触れる必要がある。それでも違いがわかるようになるには随分と時間がかかる。
自分が理解できないことは決してできるようにならないから、何としても良し悪しがわかる
ようにならねばならぬ。
若い頃は怖いもの知らずで体力がありカラダも思い通りに動くので、飛んだり跳ねたり、
あるいは早く弾いたりと、派手な動きに心を奪われがちだ。
自信満々で周りからチヤホヤされようものなら、「自分はできる」とすっかり勘違いして、
やがて常の稽古が疎かになる。通り一遍の技術は数年で習得できるが、「もうわかった」と
言ってそこで稽古をやめてしまうと本当の良し悪しはわからないままだ。
若い頃のVTRを今観ると、ヘタなのにどこか得意気で本当に恥ずかしくなる。
歳を重ね本当の良し悪しがわかるようになると、余計なものが少しずつそぎ落とされ、
芸はいたってシンプルでわかりやすいものになっていく。
根気よく、あきらめず、気長に、長い年月稽古を続けた人だけに見える世界がある。
若い頃に何でもやっておいた方がよいという意味が、この歳になってよくわかる。
芸能の世界にいわゆる名人がいたのは明治まで、と聞いたことがある。
昔の名人芸を生で観たり聴いたりすることはもはやできない。
映像や音源が残っていればその端緒に触れることくらいはできるが、
ほとんどの名人芸は記録にも残っていない。
戦後、日本の伝統芸能をないがしろにして伝え残す努力を怠ったことは
大きな損失だ。
本当の名人のいる時代を生きた大先輩から当時の話を伺ったり、
もし自分の芸を見てもらうことができるなら、今しかできない貴重な
体験になる。
名人芸をお手本と呼ぶなら、生きたお手本とそれを知る人はほとんど
消滅してしまった。
これからの人は別の道を探すか、自分で新たに作り出さねばならない。
協会でお世話になっている某先生のリサイタルを昨日拝見し大変刺激を受けた。
新たなテーマや表現に取り組みながら自己満足にならず、どこまでも観客を意識した舞台。
表現はどれも自然で、何をやっても品のよさを感じるところは天賦の才だろうか。
地唄舞は概して曲調が地味で動きにも制約があるため、芸を「見せる」のが難しい。
器用に動けば観客は喜ぶかもしれないが、振付者が意図した本来の姿からは離れてしまう。
かつて私の周囲では「見せる芸」という言葉が否定的な意味で使われていた。
余計なことをするなと常に言われた。
世間の地唄舞に対するイメージがそうだからかわからないが、今でもなるべく動かないのが
地唄舞だと思って舞っている人がいる。
舞台を見ると、その人が舞や踊りにどんなイメージを持って臨んているかよくわかる。
地唄舞も芸能だからエンタメの要素があるわけで、やはり観客を強く意識することは重要だ。
あくまで自然な表現で品格をもって、それで観客を楽しませる舞台ができるようになりたい
ものだと思う。
今の時代、日舞を生業にするのはきわめて困難なことです。
タレントや役者みたいに顔と名前を売ってファンを増やすとか、
プロの教師として学校形式で大量の生徒を教えるとか、
新しい流派を立ち上げて自ら家元になるとか・・・
日舞の場合(邦楽もそうですが)、マーケットが非常に小さくて、
ほとんど業界関係者であることがビジネスを困難にしていると思い
お金が内輪でぐるぐる回っている、そんな感じです。
日舞の場合はお金が回らなくて出ていく一方かもしれません。
何かのきっかけでマーケットが急拡大したりしたら、
細々とお師匠さんをしている人たちは一時、
バブルの到来・・・
そのとき日舞は今とは全く違うものになっているでしょう。
古いものをできるだけ正確に後世に伝えるべきか、
楽しめるよう現代風にアレンジすべきか、昔から議論になるところですが、
日舞の新作と言われる作品を観るにつけ、個人的には中途半端な印象を拭えません。
はたして着物を着る必要があるのか、
いつもそう思います。
ビジネスという視点で伝統芸能を見るから、
では個人レベルに立ち返って、自分は日舞とどうつき合っていけばよいのか。
まず免許皆伝されたら、
大切な理念や技術を後世に伝える、
何より一番大事なのは、
踊りとはまったく無関係の仕事を持ち、経済的に、
初めて、自分の芸を磨き、観客を魅了する舞台に思いをはせ、
非経済的な活動に、一切のシガラミなしに、純粋な心で取り組めるのだ・・
と最近思うのです。