山村若三のブログ。メモ代わりに気が向いたときに思いついたことを記録します。
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芸の良し悪しがわかるようになるには、ちゃんとした先生について稽古し、本物に数多く
触れる必要がある。それでも違いがわかるようになるには随分と時間がかかる。
自分が理解できないことは決してできるようにならないから、何としても良し悪しがわかる
ようにならねばならぬ。
若い頃は怖いもの知らずで体力がありカラダも思い通りに動くので、飛んだり跳ねたり、
あるいは早く弾いたりと、派手な動きに心を奪われがちだ。
自信満々で周りからチヤホヤされようものなら、「自分はできる」とすっかり勘違いして、
やがて常の稽古が疎かになる。通り一遍の技術は数年で習得できるが、「もうわかった」と
言ってそこで稽古をやめてしまうと本当の良し悪しはわからないままだ。
若い頃のVTRを今観ると、ヘタなのにどこか得意気で本当に恥ずかしくなる。
歳を重ね本当の良し悪しがわかるようになると、余計なものが少しずつそぎ落とされ、
芸はいたってシンプルでわかりやすいものになっていく。
根気よく、あきらめず、気長に、長い年月稽古を続けた人だけに見える世界がある。
若い頃に何でもやっておいた方がよいという意味が、この歳になってよくわかる。
寡黙な男をカッコイイと思う感性は世の中から完全に消滅した。
思ったことはすべて口に出して相手に伝達するのが合理的ということになり、
男女を問わず何でもかんでもよく喋る。
男に生まれたからには余計なことは口にせず、志高く、ただ行動するようで
ありたいが、現実の社会ではなかなか難しい。
喋るというのは自己主張の一番手っ取り早い方法だから。
三船敏郎よろしく「男は黙って〇〇ビール」を実践したければ、
喋らなくても自己アピールできるだけの芸を身につけないといけない。
結局そういうことなのだ。
昨日「自分で新たに作り出す」と書いたが、日舞も邦楽も停滞・衰退する現状を打開するには
真に革命的なことをやらかす才能ある者の登場を待つしかないのではないか。
数十年に一度、業界に現れるという天才が、過去に誰も見たことのないようなパフォーマンスを
披露する。世間の目を釘づけにし、日本はおろか世界中の若者が競ってマネをし始める。
愛好者の数は3年で今の100倍、いや1000倍になるかもしれない。
保守的で大きな変化を好まない組織には革命は起こせない。
それができるのは才能溢れた一個人。
そして、伝統のシガラミに囚われずその天才の考えを理解し支援する人々が周りにいれば
ブレイクスルーが起きるかもしれない。
はたしてそれがどんなものか、凡人の私にはさっぱり見当がつきません。
自分が生きている間に業界の革命を見られるだろうか。