山村若三のブログ。メモ代わりに気が向いたときに思いついたことを記録します。
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ただいまコメントを受けつけておりません。
本日、生徒のひとりが名取試験を受け無事に合格しました。
この後の名取式で正式にお免状をいただきますが、まずは目出たいことでした。
ところで、他所の生徒と比較しても仕方ないことですが、上手か下手かは別にして
自分が教えている生徒と大阪の先生方に教えられた生徒に大きな違いはないだろうか、
ということが前から気になっていました。
結局、今回はそのような地域性を確認できませんでしたが、少なくとも私が名取になった
三十数年前までは、同じ山村流でも大阪と岐阜では舞い方がまるで違っていました。
とにかく手順は一緒なのに雰囲気がまったく違いました。当時大阪の人たちが岐阜の
舞台を見たらあまりの違いに驚いたのではないでしょうか。
情報発信源から遠くなれば、つまり地理的に大阪から遠く離れていたり、家元との
関係性が遠くなればなるほど、伝搬する間にいろんな情報が欠落していきます。
手順が伝わったとしても、その手順の意味とか、その意味を表現するための工夫とか、
全体の雰囲気とかは正確に伝わらない。あるいはすっかり抜け落ちます。
ところが最近はこうした差異が少なくなったというか平準化されたように思います。
のぞみがスピードアップしたり、大阪の先生が東京に出稽古するようになったりして
地理的な距離が縮まり、情報格差が小さくなったのでしょうか。
ここでもう一つ大事なことは、例えば「舞うための心」のような、人によって
受け止め方が大きく異なる繊細な事柄については、伝えるのが難しいためか最初から
抜け落ちているのではないかということです。
こうして情報は単純化され、伝搬距離が縮まった結果、根本的な情報格差はもはや
なくなり、舞姿の差異はもっぱら個人の力量とキャラクターに依存する。
それでもなお、大阪の人たちが見ている舞の心象風景は私が見ている風景と違う
のではないか。私にとっての関心事ですが今はまだ確かめようがないです。
今日は夕方自宅に戻り、祝杯と称しワインとウィスキーをしこたま飲みました。
以上は酔っ払いの独り言。