舞踊家や役者が書いた本は評論家のそれと比べると随分少ないが、実際に舞台で活躍した
人の言葉は貴重な芸のヒントであり一聴に値する。
七世坂東三津五郎は「舞踊藝話」の中で、「感じのよい踊り」が優れた踊りだと
書いている。曰く、
「およそまとまった芸には面白さがなく、『いいな』という感じの前に『面白さ』が
あるのはまだ芸に至らないところがある。踊りは自然から自然に運ぶもので、決して
無理な形や無理な動きを強いるものではない。」
昔よく聞いた「何もするな」という指導の裏にはこういう意味が込められていたのだろうか。
またこれは舞踊のコツのようなものだが、三津五郎が当時の師匠の一人であった
花柳勝次郎師から言われたこととして、
「踊りには両足を使ってはいけない、左右いずれかの足を中心にしなければいけない。」
というのがあった。
この種のアドバイスは聞いた時には意味がよくわからなくて、それでも大事なことだろう
からと記憶に留めておくと、随分後になって「ああ、あれはこういうことだったか!」と
わかる時がくる。
幕末から明治にかけて活躍した名人の芸を我々は観ることができない。
ビデオにもほとんど残っていないから、断片的に言い伝えられたことを頼りに
「こういうことだったろうか」と想像するしかない。
芸は口伝、口伝は師匠。
我々が今日目にするのは、200年前から続いている何人もの師匠の伝言ゲームの結果だ。
現在の舞台が200年前とどれほどかけ離れているかは知る由もない。