「ここで一寸私の母のことについて申さねばなりません。
(中略)
彦六座へ入ってとにかく役がつき、薄給ながらお給金を頂くようになったとき、
『芸人の修行というもんは、自分で苦労して、自分の力で立っていかないかんもんだす。
かならず親がいると思うたらあきまへんで』
との詞を残して、家を畳んでふいと神戸へ行ってしまいました。
後に残されて宿なしになった私は、しょうことなしに知り合いの家を転々とあちこち
居候生活を続けねばなりませんでした。
これから数年の間が私の一生の中で一番苦しかった時代で、そんなとき私は勿体なくも、
酷い親と母を恨みました。
(中略)
この頃の私の生活ぶりは実に惨めなもので、着物といえば年中垢じみた袷一枚、それにすった
下駄という風体でしたから、芝居の中でも私の傍を避けるものが少なくありませんでした。」
* * *
実は、母は息子が金を借りに行きそうな所へ先回りして、息子が来たら後で自分が返すから
一時的に立て替えてやってくれ、と頼んで回ってくれていたということを道八は後になって
知る。
やっと家を借りたものの畳を敷く金も布団を買う金もなく、知り合いの芸者から犬を一匹
もらってきて押し入れの中にムシロを敷いて一緒に寝た。
商売道具である撥も、撥先だけ象牙の木撥に白い紙を巻いて丸象牙に見えるようにして
使っていた。
「若いころの苦労は買ってでもしろ」とは十代の頃に何度も聞かされたが、こんな苦労は
しないに越したことがない。
これは苦労して大成した人が晩年に自分の人生を振り返って言うセリフであって、
間違っても「苦労すれば偉くなれる」と勘違いしてはいけない。
上で引用した母親のセリフも今の芸人には重い言葉だ。