昨年12月に買った「道八芸談」は正真正銘の名人の芸談として大変な価値がある。
ほんの一部だが書き出しておきたい。
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「今は時勢が変わって、芸の勉強ということがとてもしにくくなりました。第一に生活の
ことを考えねばならぬ時代になりましたが、それではほんとうの勉強はできません。
多少の境遇にもよるでしょうが、三度の食事も目当てなく、着物は垢じみたものを着て、
他人から『臭い臭い』と言われる位、魂をそれに打込んでしまわぬと勉強できません。
(中略)
私達の若い時代でも、年寄連中から『今の者は勉強せん、凝らん』といわれましたが、
今日のようなことはありませんでした。今日の芸人は勉強せん過ぎます。」
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鶴沢道八の師匠は二代目豊沢団平で、その教訓の根本はもっぱら『舞台で死ね』という
命令であったという。
実際に団平師匠は明治31年4月「志渡寺」を弾きながら舞台で死んだのだ。
太夫も三味線もここぞという場面で息を詰めるから舞台で脳震盪を起こしていたという。
毎日そんなことをやっていたらいつ死んでもおかしくないのだが、武智鉄二の解説によれば、
息を詰めることは大脳内の判断力表現力中枢を活性化するために必要なことで、浄瑠璃芸術家
たちはこの"脳震盪"現象で自分の芸力を計測していたのだという。
『今の者は勉強せん』と同様なことは今も耳にする。
明治時代の名人が今の芸能を見たらどう思うだろうか。
技術革新によって、我々は自分の生活が豊かになったように思っている。
鉄道や飛行機で遠距離を瞬く間に移動し、一人一台PCとスマホを持ち、いつでもどこでも
世界中の誰とでもつながれるようになった。ネットをたどればどんな情報も一瞬にして入手
できるようになった。
しかし団平や道八が到達した芸の極みには、これらをもってして誰も到達できない。
これらの名人に直接教えを乞うことも直接聴くことも、今となってはできない。
ただ残された少しばかりの音源と書物からどんな様子だったか想像するしかない。
今は昔、なのだ。
技術革新によって、50年前の大阪万博で描かれた夢はたくさん実現した。
しかし肝心の人間は何百年(何千年?)経っても変わらない。
結局、進歩のない生身の人間の周りに便利な道具が増えただけ。
他に楽しいことはいっぱいあるしダメ出しする人もいないし、楽して上手になろうと思うから
どんどんヘタになっていく。