同じ曲を同じ振りで踊っても十人十色なのは、当たり前のようだが不思議でもある。
身体つきが違い、筋肉や関節の柔軟性が違い、運動能力が違い、リズム感が違えば、
同じように動いても違って見えるのは当たり前である。
本人の志向の違いというか好みの違いも大きいし、生来の性格も動きに影響を及ぼす。
一方で、まったく身体つきが異なる二人の動きが同じように見えることがある。
1992年から94年にかけて文藝春秋に掲載された勝新太郎の対談シリーズが文庫本になって
いて、森繁久彌との会話の中で勝が「間の芝居」に言及しているところがある。
「いろんな名人の喜劇を真似して芸にして、さらにもう一つアレンジして間の芝居に
入っていった、これは日本ではシゲさんだけだと思う」
「シゲさんの間を弟子や友達がやっても受けない、シゲさんに限って許された天から
もらった間だから」
森繁は自分にとって大変魅力的な人で、どんな人生を送ったらこういう人物になれるのか
ずっと不思議だったが、その魅力は「間」であったか、と腹に落ちた。
「間は魔に通ず」という。
九代目団十郎の言葉を六代目が記録した中に出てくる言葉だそうだ。九代目曰く、
「踊りの間というものに二種ある。教えられる間と、教えられない間だ。とりわけ大切
なのは教えられない間だけれど、これは天性持って生まれてくるものだ。教えて出来る間は
「間(あいだ)」という字を書く。教えても出来ない間は「魔」の字を書く。
私は教えて出来る方の間を教えるから、それから先の教えようのない魔の方は、自分の力で
探り当てることが肝腎だ。」
歌舞伎評論家の山本吉之助さんのウェブサイトに、間について試論を展開しているページを
見つけた。この中の「きまる」ということについての考察がわかりやすい。
・「きまる」というのは常間(三味線の作る西洋音楽的な間)にはまること
・だから世阿弥の時代には「間」の概念が存在しなかった
・能や狂言のような先行芸能から見ると「きまる」というのは「はしたない、いやなこと」
・江戸初期の歌舞伎役者は意識的に「いやなこと」を行って観客を挑発したのかもしれない
常間にはまり続けるのが何となく恥ずかしいと思うのは自然なことであった。
山村流では足を踏みたくなる箇所をたびたび空かすのだが、これは観客を「いやな気分」に
させない、あるいは観客の期待を裏切るための工夫であっただろうと思う。
執拗に足を踏み鳴らす舞踊は見ていてうんざりすることがあるが、歌舞伎舞踊においては
意識的に行ってきたのかもしれない。今の観客はこれをどんな気分で観るのだろうか。
「間」が天賦の才であるならば、常の稽古は大切に、しかし最後は自分に与えられた間で
勝負するしかない。