山村若三のブログ。メモ代わりに気が向いたときに思いついたことを記録します。
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今年のマスターズは米国のパトリックリードが優勝。
https://twitter.com/GolfChannel/status/983127370600206336
贔屓の選手が勝つに越したことはないが、マスターズだけは誰が勝っても感動する。
メジャーの中でも特別な大会。
協会でお世話になっている某先生のリサイタルを昨日拝見し大変刺激を受けた。
新たなテーマや表現に取り組みながら自己満足にならず、どこまでも観客を意識した舞台。
表現はどれも自然で、何をやっても品のよさを感じるところは天賦の才だろうか。
地唄舞は概して曲調が地味で動きにも制約があるため、芸を「見せる」のが難しい。
器用に動けば観客は喜ぶかもしれないが、振付者が意図した本来の姿からは離れてしまう。
かつて私の周囲では「見せる芸」という言葉が否定的な意味で使われていた。
余計なことをするなと常に言われた。
世間の地唄舞に対するイメージがそうだからかわからないが、今でもなるべく動かないのが
地唄舞だと思って舞っている人がいる。
舞台を見ると、その人が舞や踊りにどんなイメージを持って臨んているかよくわかる。
地唄舞も芸能だからエンタメの要素があるわけで、やはり観客を強く意識することは重要だ。
あくまで自然な表現で品格をもって、それで観客を楽しませる舞台ができるようになりたい
ものだと思う。
本日、生徒のひとりが名取試験を受け無事に合格しました。
この後の名取式で正式にお免状をいただきますが、まずは目出たいことでした。
ところで、他所の生徒と比較しても仕方ないことですが、上手か下手かは別にして
自分が教えている生徒と大阪の先生方に教えられた生徒に大きな違いはないだろうか、
ということが前から気になっていました。
結局、今回はそのような地域性を確認できませんでしたが、少なくとも私が名取になった
三十数年前までは、同じ山村流でも大阪と岐阜では舞い方がまるで違っていました。
とにかく手順は一緒なのに雰囲気がまったく違いました。当時大阪の人たちが岐阜の
舞台を見たらあまりの違いに驚いたのではないでしょうか。
情報発信源から遠くなれば、つまり地理的に大阪から遠く離れていたり、家元との
関係性が遠くなればなるほど、伝搬する間にいろんな情報が欠落していきます。
手順が伝わったとしても、その手順の意味とか、その意味を表現するための工夫とか、
全体の雰囲気とかは正確に伝わらない。あるいはすっかり抜け落ちます。
ところが最近はこうした差異が少なくなったというか平準化されたように思います。
のぞみがスピードアップしたり、大阪の先生が東京に出稽古するようになったりして
地理的な距離が縮まり、情報格差が小さくなったのでしょうか。
ここでもう一つ大事なことは、例えば「舞うための心」のような、人によって
受け止め方が大きく異なる繊細な事柄については、伝えるのが難しいためか最初から
抜け落ちているのではないかということです。
こうして情報は単純化され、伝搬距離が縮まった結果、根本的な情報格差はもはや
なくなり、舞姿の差異はもっぱら個人の力量とキャラクターに依存する。
それでもなお、大阪の人たちが見ている舞の心象風景は私が見ている風景と違う
のではないか。私にとっての関心事ですが今はまだ確かめようがないです。
今日は夕方自宅に戻り、祝杯と称しワインとウィスキーをしこたま飲みました。
以上は酔っ払いの独り言。
昨夜、長唄の稽古の帰りに駒形どぜうに寄り、初めてなまず鍋を食べた。
冬季限定で春の彼岸まで食べられるらしい。
昔はフグも「彼岸から彼岸まで」と言われたが、今では年中食べることができる。
冬しか食べられないものは今では珍しく有難味がある。
あらかじめ割り下で煮たなまずと焼き豆腐が入っていて、豆腐に火が通ったら
好みでネギと山椒(または唐辛子)を振りかけて食べる。
なかなか美味だったが、私にはなまずの味付けがちょっと濃かった。
酒を飲みながら食べるには少し濃い方が美味しいのかもしれない。
浅草には他に飯田屋という立派などじょう屋があり、やはり冬季限定でなまず鍋が
食べられるらしい。
残り一か月の間に訪問してみたい。